あいぴゃんの投資奮闘日記=3

36歳でお金について本気モードで真面目に考えようと思った、アラフォー・凡ワーキング主婦 あいぴゃんの投資家デビューして、成功を目指すための記録ブログです!

真っ黒すぎる履歴書④

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こんばんは! 凡ワーキング主婦・あいぴゃんです。
DINKS時代とは違い、乳児を持つ母親である事は、仕事を選ぶ上で様々な条件をクリア出来る職場でないと自分の中で合格‼︎とならず、就職活動は困難を極めました。
 
具体的に言いますと、
①残業がほぼ無い
②子供が体調を崩した場合などの急な休み・早退にも対応してもらえる
これはマストで、
後は私が希望する
③それでも月に14万円は稼ぎたい
④出来れば週4勤務したい
というものでした。
 
なぜ週4日が希望かと言いますと、友達が水曜日以外の平日週4日働いていて、保育園に週5日預けて、真ん中の水曜日を自分の自由な日に使っていたので、
そんな理想的な働き方を私も実践してみたかったのです。
子育てをしながら、週5フルタイムで働けるかどうかも心配がありましたので。
 
ちょうど年末の時期でした。派遣社員として私の出した条件が全部叶う職場を見付けるのは無理だと諦めモードに入っていました。
そんな時たまたま手に取った求人誌で中堅住宅会社Rのアルバイトの仕事を発見!イラストレーターやフォトショップが使える事が必須条件で、webの更新もあるなんて、正に私のためにあるような仕事‼︎
 
時給や週に働く日数も理想的だったので、面接を受けてみる事にしました。
面接で育児中である事を明かすと、女性の多い部署で非常に理解のある感じがしました。
見事に採用していただける事となり、これまでの経験をフルに活かして、何とか仕事と慣れない育児との両立の日々が始まりました。
子供が体調を崩した時や、台風で暴風警報が出た時なども問題なく休ませてもらう事が出来、とても良いリズムで働かせていただきました。
 
ところが一年が経過したある時、グループ長から、人手が足りないのでこれからは週5で働いて契約社員となってほしい、無理なら別の人を雇いたいのでアルバイトの契約を終了したい、と打診がありました。
私としては元々週4勤務が希望で、せっかく良いリズムで働いてくる事が出来たのに、土日のどちらかが仕事(住宅関係の仕事なので水曜日が定休日なのです)になるなんて…!とダンナと休みが合わなくなる事もあり、気乗りがしませんでした。それに何よりそんなパワハラまがいの決め方が気に入りませんでした。
が、直ぐに仕事を見付けるのも大変なので、一旦はその要求を受け入れ、週5(毎月手取りは16万円程、別途ボーナスあり)で仕事を続けながら就活を始めることにしました。
 
実は前々から気になっていた仕事がありました。出産後、小児科や児童館などに行くと、子育てを応援するためのフリーマガジンをよく見かけ、持ち帰って読むようになったのですが、子育てにとても有用な情報がたくさん掲載されており、社会と切り離されたような置いてけぼり感満載の孤独な孤育て中の私にはまぶしく、読んでいてとてもハッピーな気持ちになれたのです。
私もそんな冊子を作ってみたい!と密かに思っていたのでした。
そこは広告代理店でした。面接官の方から、
これまでの経験でもちろんフリーのデザイナーとして契約をする事も出来るけれど、今ちょうど社内のデザイナーも募集しているので、社員として働く選択肢もありますよ、と言っていただき、
私は迷わず保険や保障に守られた社員として働きたいと思いました。
若い頃は「いつかは自分の事務所を持つぞ!」と意気込んでいましたが、
給与に浮き沈みがあり、安定しなさそうなフリーランスな日々は嫌でした。
給与も一定で、会社に守られいて、将来的には厚生年金も付いてるってやっぱりサイコーです。
 
採用の通知を受け取る前に、住宅会社Rで退職の意思を伝えたのですが、グループ長から呼び出され、長時間に渡り一方的にパワハラ発言をいただきました。
分かり合える事はない、と思っていたので全く響きませんでしたが、お互いハッピーになる事が出来なかったのは残念でした。
 
翌月から広告代理店での勤務が始まりました。
あれから3年になりますが、現在は全く辞める気がしません。そもそも育児と仕事を両立していると、転職なんて考えているヒマがありません(笑)
 
◼︎毎月1万円 低解約返戻金型終身保険
◼︎毎月300ドル 米国ドル建リタイアメント・インカム
は相変わらず何とか続けています!
 
#転職 #グラフィックデザイナー #フリーランス #パワハラ #職場復帰 #育休明け #保険 #貯蓄 #低解約返戻金型 #米国ドル建て  #ジブラルタ生命 #東京海上日動あんしん生命保険 #凡ワーキング主婦 #あいぴゃんの投資奮闘日記=3

真っ黒すぎる履歴書③

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こんばんは! 凡ワーキング主婦・あいぴゃんです。

 

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 からの続きです!!

 

失業中に是非ともやっておきたい事がありました。それは、WEBの知識を身につける事。

広告会社Eに在職中から、これからの広告は紙媒体ではなく、WEB化していく方向にある事をひしひしと肌で感じていました。

職業訓練校に通う事も考えましたが、あまり専門的な学びではなく思え、
また、早く次の仕事に就きたかった私にとっては数ヶ月間に渡ってカリキュラムが決まっている職業訓練校ではなく、自分のペースで短期間で学びを終えられる、有料のWEBスクールに通う方が得策に思え、受講料30万円は自分への投資だと思い、(便利な)リボ払いで支払い、毎日通う事にしました。
 
WEBスクールに通いながら、もちろん次の仕事も探していました。
求人雑誌やwebの求人サイトを見ながら、日々情報収集は欠かしませんでした。
狙い目は、初心者でもOKな時給1000円以上のwebに関わる仕事(出来ればこれまでのデザインの経験を活かせるような)。そうして今度はwebの経験も積んでいければ、紙媒体でもwebでもマルチに活躍できるはず!
そのため、いくつか人材派遣会社にも登録しておきました。
また、前職での働き方が大変過酷だった事から、これからはワークライフバランスも考えたいと思うようになりました。
そろそろ30歳を目前にして、子供を持つ事も視野に入れつつありました。
 
二ヶ月ほどスクールに通い、卒業する頃には、登録していたうちの一つの人材派遣会社から、人材紹介という形でweb制作会社Cを打診され、条件も私の希望と一致していたので、入社させていただく事にしました。
ちょっと心配だったのは、紹介先の社長がよく言うとフレンドリーなんだけど、何かちょっとテキトーな感じで。。(IT系の社長ってみんなそんな感じ?)
それでも、web初心者の私でも雇っていただけるということだったので、感謝して働かせていただきました。
HTMLの打ち方や、ちょっとツルっとしていたり、透明感があるようなweb特有の画像の作り方、cssワードプレスの設定の仕方等、webの基本を本当にたくさん学ばせていただきました。
残業もそこまでなく、アルバイトだったので給料は扶養内。社内も若いスタッフばかりで楽しかったのですが、給与の支払い遅れなどが度重なり、一年程で退職する事に致しました。(現在その会社は潰れてしまったそうです。。)
 
その後、すぐに人材派遣会社から、派遣社員として大手通販会社のカタログ編集アシスタントスタッフとしてのお仕事紹介がありました。給料は手取りで14万円程。
これまでのクリエイターとしての経験も活かせると思い入社したのですが、実際入ってみるとデザインの仕事はほぼ皆無。。
待っていたのは、映画「プラダを着た悪魔」のモデルとなった「ヴォーグ」のカリスマ編集長アナ・ウィンターそっくりなコワモテ編集長のアシスタント業務;
どうやら、現・派遣のアシスタントがその編集長と合わず、2ヶ月足らずで辞めてしまうとかで、代わりを探していたようで、その代わりが私だったそうです。
私は自分では気付かなかったのですが、怖いな〜と思う人と仲良くなるのが実は得意だったようで、、、最初こそその編集長に本当にビビっていましたけど、徐々にそのコワモテ編集長と仲良くなり、妊娠して産休に入るまで、本当に良好な関係を築いていけたと思います。
 
派遣社員として約二年半、その通販会社で働かせていただき、産休・育休は派遣会社から付与されました。
育休が終わる頃、出来ればまた同じ職場に復帰したいと思っておりました。ちょうど私が産休に入る少し前くらいから派遣先の通販会社の業績が悪化し、派遣社員を受け入れている余裕が無くなっていたのは聞いていたのですが、復帰するタイミングでも状況は変わらずだったようでした。
そのため、派遣会社に書いてもらった書類で子供を預ける保育園に入所が決まったけれども、急いで新しい仕事を探さなければならない、そんな状況に置かれてしまいました。その時初めて、「もう派遣社員は嫌だ‼︎」と思いました。正社員だったらこんな苦労する事もなく、元いた職場に戻れたのに。。。
 
それでも、
◼︎毎月1万円 低解約返戻金型終身保険
◼︎毎月300ドル 米国ドル建リタイアメント・インカム
はかろうじて続けていました。
 
続きます!!
 
#転職 #グラフィックデザイナー #webデザイナー #自分への投資 #派遣 #職場復帰 #育休明け #保険 #貯蓄 #低解約返戻金型 #米国ドル建て  #ジブラルタ生命 #東京海上日動あんしん生命保険 #凡ワーキング主婦 #あいぴゃんの投資奮闘日記=3

真っ黒すぎる履歴書②

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こんばんは! 凡ワーキング主婦・あいぴゃんです。

 

ganbare-aipyan77.hatenadiary.com

 からの続きです!!

 

手に職(グラフィックデザイナー)があったのと若さのおかげで、これまで職にあぶれた事は無かった私。

 
もちろんプレジデントウーマンに掲載されているような高収入のリッチ女子を目の当たりにすると雲泥の差があり過ぎて涙が出そうにもなりますが(!)
それなりに仕事に打ち込み、頑張って働き、ほんのちょっとずつだけれど経験を積み、少しずつ成果を得て、時には病んだりもしながらも、充実したお仕事ライフを過ごして来た訳です。
 
しかし、三社目の広告会社Eで毎週のように土日も仕事、終電ギリギリまで(もしくは徹夜で)仕事、と
ONもOFFなく働いていると、仕事がいつまでも終わりがなく果てしないものに思え、
モチベーションも下がり、何のために働いているのかだんだん分からなくなってきます。
楽しみなのはお給料日に通帳記入する事くらい。
ある締め切りが無事に終わった日、それまで張り詰めていた線がプツリと切れたような変な感覚に襲われました。
もう焦らなくていいんだけど、まだまだ焦らないといけないような、変な心臓のドクドク感。気持ちだけがずっと忙しい感じ。
これではいつか過労死する!このままではいけない!!と思いました。
締め切り続き、残業続きで大変なストレスを抱え、上司とも折り合いが悪かった。(今思うと、毎日忙しすぎたあまり、ただ八つ当たりをしていただけなのでしょうか?)
残業代を含めた手取りで月給28万円くらいはあったけれど、一年余りで退職する事にしました。
 
辞める時に「離職票」という書類を会社に書いてもらって、ハローワークに提出し失業手続きをするのですが、
もちろん会社側には「自己都合退職」という記載をされています。
手続きの際に窓口の方から、「自己都合で退職したという事で相違はありませんか?」と確認がありました。
私は残業が多すぎて深夜や徹夜にも及ぶ事が多く、しんどくて続けられなかった事が理由だと話しました。
その理由から、窓口では「自己都合退職」ではなく「会社都合退職」のケースに該当すると考えていただいたようです。
ここからは後日、ハローワーク(?)と働いていた会社とのやり取りになるのですが、
私が働いていた時のタイムカードの提出要求や調査が働いていた会社に対して行われました。(元いた会社には申し訳なかったですが。。)
そして、証拠が出揃った事で会社都合退職である事が認められ、通常は失業保険の給付まで三ヶ月かかるところ、すぐに失業保険が給付される事となったのでした。
(もちろん、私の件があったくらいじゃその会社は潰れるワケもなく、今も健在です!)
失業保険がすぐに給付される事になったものの、それまでもらっていた給料の満額を支払ってもらえるものではないので、収入は激減。
◼︎毎月1万円 低解約返戻金型終身保険
◼︎毎月300ドル 米国ドル建リタイアメント・インカム
◼︎毎月6万円 定期預金
のうち、
あのUFJ銀行で保険の担当さんがおっしゃっていた通り、毎月6万円の定期預金はソッコーでやめてしまう事となったのでした。
 
続きます!!
 
#転職 #グラフィックデザイナー #ブラック企業 #会社都合退職 #DINKS #保険 #貯蓄 #低解約返戻金型 #米国ドル建て #定期預金  #ジブラルタ生命 #東京海上日動あんしん生命保険 #UFJ銀行 #凡ワーキング主婦 #あいぴゃんの投資奮闘日記=3

真っ黒すぎる履歴書①

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こんばんは! 凡ワーキング主婦・あいぴゃんです。

 

単純にお金を増やすには仕事して働いて稼げばいいワケなのですが、、

今日はそんな私の職歴についてお話したいと思います。

 

実は今の会社は7社目。

そろそろ履歴書の職務経歴の欄は真っ黒で、書ききれなくなってきました。
(しかし、こんな私を雇ってくれた今の会社には本当に感謝です‼︎)
 
クリエイター系の専門学校を卒業してからというもの、
ほぼずっとグラフィックデザイナーとして働いてきました。
 
他の業種と比べると、
比較的グラフィックデザイナーという職種は転職が多いように思います。
(なぜなら小さなデザイン会社では有給も無く、ブラックが多いから。。)
 
新卒で入った会社Pは、家族営業で
社長と経理が夫婦の小さな会社でした。
月給は額面で16万円ほど。
仕事が無いので(今思えば、どうやって成り立っていたんでしょう。。)、下々の者にはなかなか仕事が回ってこなくてヒマなのですが、
なんと、社長や経理のお姉さんが帰るまでは、下々の者は帰れないんです‼︎
お弁当もみんなで一つのテーブルを囲んで食べるのがお約束で、お弁当の中身にもたびたび意見されたり、、
当番制で味噌汁を作ったりとよく言えばかなりアットホームな会社。
しかし、何故か短い在籍期間の後半には、仕事も無いのにスタッフ交代で土曜出勤まで強いられました。
いつか自分の事務所を持ちたいから、もっと仕事をこなせる会社で経験を積みたい‼︎という思いがあり、一年余りで退職しました。
 
退職後、こちらも小さなデザイン事務所Fに入社。ここは、歳が一回り以上離れたベテランのデザイナーばかりの会社。
月給は額面で23万円ほど。
最初こそ若い子が入ったという事で重宝していただいたんですが、私がその会社でうまく育つ事が出来ず、
他のデザイナーさんとの実力の差がいつまで経っても埋まらず、そのうち小さな会社なので、社内の雰囲気も悪くなり、
私の気持ちも落ち込み続けました。
ある時から何カ月も咳が止まらなくなりました。呼吸器系の病院にも行きましたが、原因は不明。恐らく自分で「ダメなレッテルを貼られている」と精神的な落ち込みから来たものだったと思います。
会社は続けて行きたかったけれど、デザインする系統にも合う合わないがあったんでしょうね。
それでも三年程がんばりましたが、ちょうどその頃結婚して、新婚旅行に行くタイミングで辞めました。
 
二社目であまり役に立てなかった私は、とても不甲斐なく思っていました。
三社目に入社したのはいくつものチームを抱える大手広告会社のE。
「今に見てろ‼︎」という思いで広告会社Eでがむしゃらに働きました。
私が所属したのは大手通販会社のカタログデザインを請け負う部署で、デザインの系統も私が得意とするデザイン事務所Fと比べると今時のもの。
ただ、締め切り前はほぼ終電まで残業しなければ間に合わず、徹夜で働く日もありました。
残業代を合わせて、月給は手取りで28万円程。今思うと残業代がちゃんと出るだけ良かったかもしれません。
その頃に
◼︎毎月1万円 低解約返戻金型終身保険
◼︎毎月300ドル 米国ドル建リタイアメント・インカム
◼︎毎月6万円 定期預金
を始めたのでした。
 
続きます!!
 
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DINKS時代にフワッと考えた保険で貯める貯蓄プラン

はじめまして! 凡ワーキング主婦・あいぴゃんです。

 

これから、こちらのブログで

これまで“お金”に対してどういう考えで過ごしてきたか、

どうやって“お金”を貯めていこうと思ったか、

今後はどう“お金”を動かしていきたいか、

とにかく“お金”について語っていきたいと思います ^^

 

最近、雑誌などでよく目にするようになった言葉DINKS』をご存知でしょうか??

 

DINKs(ディンクス)とは、

共働きで子供を意識的に作らない、持たない夫婦、
またその生活観のことを指すアクロニム。
 Double Income No Kids(2収入、子供なし)の頭文字などを並べたもの。 Dinkyともいう。 ”
 
私も26歳で結婚し、32歳で出産するまでの6年間は、
そのDINKSというやつでした。
 
その6年間がどういうものだったかというと、、
特にマイホームを買うという計画も持ち上がらず、いくら貯めるという目的も特になく、
子供はとりあえずもうちょっと働いてから!という考えのもとに過ごしておりましたので、使えるだけお金を使う日々;
(今思えばもったいなさすぎる〜( ;  ; ))
 
年収はその頃夫婦合わせて手取りにして450万円くらい。
私は当時ブラック企業に勤めていて、残業代が半端なくついていたので、
毎月私個人の手取りで28万円前後。ボーナスも年に2回、40万円程ありました。
(↑ちなみに、このブラック企業は約1年半ですぐ退職;)
 
その頃は私の財布から、
月に7万円は貯金に回す余裕があったので、
年明けに思い立って三菱東京UFJ銀行で定期預金をする事にしました。
 
窓口で定期預金の相談をすると、窓口で「毎月7万円は大金ですね〜!」と窓口のお姉さん。(微々たる金額なのにそんな事言ってくださるなんて*)
その後、行内の保険の担当の方も窓口にいらっしゃって、
「定期預金ですと、すぐに解約出来てしまいますし、利率も低いので、
月7万円のうち1万円でも、解約しにくくて利率の高い、保険で貯められたらどうでしょう?」
低解約返戻金型終身保険
をオススメされました。
そのプランでは、保険で月々1万ちょっとを入金すると、
10年後に払い済みとなり、
払い済み直後に解約すると126万ほど貯まっており、普通に貯蓄するよりも2万円ほどおトクというもの。
またそのまま解約せずに置いておけば終身保険にもなるし、毎年少しずつ増えていくという仕組みもありました。

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まぁ、1万円ならば、という気持ちと
保険だから解約しにくいことと、終身保険もついているという利点もあったので、
6万円→定期預金
1万円→保険
という風に貯めていくことにしました。
 
その頃他にやっていた貯蓄というと、
米国ドル建リタイアメント・インカム(現在は販売停止中)
の毎月300数ドルを始めて1年くらい経ったところ。
この保険は60歳の時に払い済みとなり、払い込んだ金額より多い解約返戻金を受け取るか、60歳以降20年に渡り年金として受け取るかを選べるというもの。

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(↑60歳で解約返戻金を受け取るか、それから20年間年金を受け取るかで絶対悩みそう〜!)

 
当時は将来いくらお金が必要、とか
具体的にいくら貯める、とか特にライフプランも考えないまま、
とりあえず
◼︎毎月1万円 低解約返戻金型終身保険
◼︎毎月300ドル 米国ドル建リタイアメント・インカム
◼︎毎月6万円 定期預金
この3本柱で貯めていくことにしました。
さて、その後どうなったかといいますと…
 
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