あいぴゃんの投資奮闘日記=3

36歳でお金について本気モードで真面目に考えようと思った、アラフォー・凡ワーキング主婦 あいぴゃんの投資家デビューして、成功を目指すための記録ブログです!

真っ黒すぎる履歴書①

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こんばんは! 凡ワーキング主婦・あいぴゃんです。

 

単純にお金を増やすには仕事して働いて稼げばいいワケなのですが、、

今日はそんな私の職歴についてお話したいと思います。

 

実は今の会社は7社目。

そろそろ履歴書の職務経歴の欄は真っ黒で、書ききれなくなってきました。
(しかし、こんな私を雇ってくれた今の会社には本当に感謝です‼︎)
 
クリエイター系の専門学校を卒業してからというもの、
ほぼずっとグラフィックデザイナーとして働いてきました。
 
他の業種と比べると、
比較的グラフィックデザイナーという職種は転職が多いように思います。
(なぜなら小さなデザイン会社では有給も無く、ブラックが多いから。。)
 
新卒で入った会社Pは、家族営業で
社長と経理が夫婦の小さな会社でした。
月給は額面で16万円ほど。
仕事が無いので(今思えば、どうやって成り立っていたんでしょう。。)、下々の者にはなかなか仕事が回ってこなくてヒマなのですが、
なんと、社長や経理のお姉さんが帰るまでは、下々の者は帰れないんです‼︎
お弁当もみんなで一つのテーブルを囲んで食べるのがお約束で、お弁当の中身にもたびたび意見されたり、、
当番制で味噌汁を作ったりとよく言えばかなりアットホームな会社。
しかし、何故か短い在籍期間の後半には、仕事も無いのにスタッフ交代で土曜出勤まで強いられました。
いつか自分の事務所を持ちたいから、もっと仕事をこなせる会社で経験を積みたい‼︎という思いがあり、一年余りで退職しました。
 
退職後、こちらも小さなデザイン事務所Fに入社。ここは、歳が一回り以上離れたベテランのデザイナーばかりの会社。
月給は額面で23万円ほど。
最初こそ若い子が入ったという事で重宝していただいたんですが、私がその会社でうまく育つ事が出来ず、
他のデザイナーさんとの実力の差がいつまで経っても埋まらず、そのうち小さな会社なので、社内の雰囲気も悪くなり、
私の気持ちも落ち込み続けました。
ある時から何カ月も咳が止まらなくなりました。呼吸器系の病院にも行きましたが、原因は不明。恐らく自分で「ダメなレッテルを貼られている」と精神的な落ち込みから来たものだったと思います。
会社は続けて行きたかったけれど、デザインする系統にも合う合わないがあったんでしょうね。
それでも三年程がんばりましたが、ちょうどその頃結婚して、新婚旅行に行くタイミングで辞めました。
 
二社目であまり役に立てなかった私は、とても不甲斐なく思っていました。
三社目に入社したのはいくつものチームを抱える大手広告会社のE。
「今に見てろ‼︎」という思いで広告会社Eでがむしゃらに働きました。
私が所属したのは大手通販会社のカタログデザインを請け負う部署で、デザインの系統も私が得意とするデザイン事務所Fと比べると今時のもの。
ただ、締め切り前はほぼ終電まで残業しなければ間に合わず、徹夜で働く日もありました。
残業代を合わせて、月給は手取りで28万円程。今思うと残業代がちゃんと出るだけ良かったかもしれません。
その頃に
◼︎毎月1万円 低解約返戻金型終身保険
◼︎毎月300ドル 米国ドル建リタイアメント・インカム
◼︎毎月6万円 定期預金
を始めたのでした。
 
続きます!!
 
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